◆三思一言◆◆◆ 2026年07月23日
◆西山浄土宗の僧侶養成
檀林は僧侶の養成機関のことで、光明寺に現存する江戸時代の学寮門・講堂・食堂は、本山としての格式を示す貴重な建物です。
その活動は、江戸時代の初めから窺うことができ、もとは庫裏の側に、小屋のような住坊が幾つか散在していたことが想像されています(光明寺縁起絵巻「証空再興図」)。承応3年(1654)に入寺した第32世倍山上人は、法然上人御廟の改築をはじめ一山の大修造を行い、「久しく閉じたる学寮の門」を開いて、檀林の整備に取り組みました。
しかし、享保19年(1734)11月18日に発生した大火で伴頭寮、所化寮、食堂などが焼失。翌月には光明寺役者より奉行所へ再建願いが出され、12月16日には幕府御用大工中井家から普請許可が下りています。この時の一件文書には、「焼失以前」と「造作計画」の絵図2点が添付され、また文面には仕様が詳しく記されていますので、光明寺檀林の構成や機能の全体を知ることができます(向日市小嶋家文書)。
天保4年(1833)に講堂・食堂・学寮門が建て替えられた後、幕末から明治初めのようすを「光明寺山内細図」から見ましょう。中央の行場(井戸)を中心に、講堂・食堂・魁寮・法輪蔵・西寮・月鑑寮・東寮がロの字の形にならんでいます。講堂は師の教えを仰ぐ学問・修行の場、食堂は文字通り食事をとる施設、法輪蔵には経典や書籍を収蔵、そして寮は学生が寝起きする部屋の集合棟です。
◆近代の学制改革
明治9年(1876)に浄土宗から分かれ、西山浄土宗総本山となった光明寺は、旧来の学寮を改めて宗学本校と称して派内の子弟を教育。明治29年9月1日には専門寮と改めて私立大学となり(明治43年に、南所化寮を3教室からなる教室棟に建替)、大正8年(1919)に西山専門学寮、翌大正9年に専門学校として認可され、西山派寺院(光明寺派・禅林寺派・深草派)の後継者を養成。戦後、昭和25年(1950)の短期大学改組を経て、現在の京都西山短期大学となりました。
冒頭に、昭和5年制作「浄土宗西山光明寺全景」より、西山専門学校をクローズアップして掲げました。西山専門学校となるのにあたり、校舎は光明寺檀林の建物が充てられ、講堂・食堂のほか寄宿舎や図書室、事務室になりました。講堂・食堂東側の2階建ての校舎と、テニスコート付のグラウンドの区画が、現在の西山短期大学敷地にあたります。
昭和5年から約100年・・・。今も旧檀林区画の痕跡と、講堂・食堂・学寮門の建物が、奇跡的に残ってます。このことは、本山クラスの浄土宗寺院のなかでは他に例がなく、宗派の教学や近代学校の歴史をたどるうえで、とても貴重なものであると特筆されているのです。
ー参考文献-
・『長岡京市史』建築・美術編 1994 ・『長岡京市史』本文編二 1997年
百瀬ちどり【自己紹介】京都府長岡京市在住の、文化財愛好者です。地元を中心に、各地の歴史(コラム)や風景(映像)を紹介しています。KBS京都ニュース&ライブ【公式】京都Days特集2023よりリンク。
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