三思一言2018.06.19

長岡京発掘のID番号

◆手書きの調査カードづくり

 長岡京発掘の誇るべき調査システムの基本が、宮・右京・左京ごとにつけられた調査次数と地区名です。宮域と京域では少し違うのですが、通し番号+地区のアルファベットで、長岡京の調査をすべて把握し、みんなで力を合わせて研究を進めいこう、という熱意で編み出されたものです。

 ここでは、京域のネーミングについて紹介しましょう。まずは調査開始時点で右京か左京ごとに通し番号を付し、それに大字と小字の略記号を組み合わせます。思い出深いところをあげると、1972年に大量の木簡が出土した調査は左京7次ESH地区(Eは大字鶏冠井、SHは小字沢ノ西)、「弟国」の墨書土器が出土した長岡第十小学校の調査は、右京25次GTE地区(Gは井ノ内、TEは小字玉ノ上)となります。地区のアルファベットは、報告書に掲げられるくらいで一般にはほとんどお目にかかりませんが、新住居表示となって大字がわからなくなっている場所では、とても大切な意味があります。調査次数はR(右京)〇〇次、L(左京)〇〇次と、現地説明会などで頻繁に使われていますので、長岡京発掘に関心のあるかたならお馴染みです。

 このようなシステムが編み出されたのは1975年ごろ、生みの親は当時京都府教育委員会技師だった高橋美久二さんです。長岡宮(後に京)跡発掘調査研究所の小さなプレハブで、それまで長岡京で行われた調査のすべてをカードし、乙訓全域の大字・小字の地図を集成して3文字の略号を辛抱強くつけていきました。すさまじい開発ラッシュのなかで研究所の黒電話が鳴り響き、所員らが各市町村からの問い合わせに応えていたのをよく覚えています。実はこれ、とても優れもので、中山修一先生は宮・右京・左京の次数を足し算して、「長岡京では〇〇〇回の調査が行われた」と、いつも誇りにしておられました。

◆長岡京発掘60年

 手書きの調査カードづくりに励んでいたころ、いまのようなパソコン社会になるとは思いもよりませんでした。次数と地区名による調査のID番号は、京都市・向日市・長岡京市・大山崎町にまたがる広域遺跡と真剣に向き合う、知恵と努力の結晶といってよいでしょう。

 2015年3月、長岡京の調査は60年を迎えました。長岡宮521次、右京1159次・・・と、長岡京の現地説明会や講演会は今でもワクワクします。早苗の長岡京跡を眺めながら、これからの研究や遺跡の保存がいっそう実りあるものに・・・と、期待せずにはいられません。

 

-参考文献-

・長岡京跡発掘調査研究書ニュース『長岡京』1~31号 1977~1984年 

 

 

・向日市教育委員会『長岡宮発掘60年のあゆみ』 2015年

・乙訓文化財事務連絡協議会『スライドでみる長岡京発掘60年 資料集』 2015年

宮515次 大極殿築地回廊  2016年 (向日市)

 

宮521次 内裏築地回廊  2017年 (向日市)


右京1158次 右京二条三坊 (長岡京市)

2017年 大規模宅地

右京1159次 右京六条二坊 (長岡京市)

六条条間小路南側溝 2017年


左京557次 左京六条二坊 (長岡京市)

東一坊大路西側溝 2013年

大山崎瓦窯 平安時代の窯跡 2017年 (大山崎町)