◆三思一言◆◆◆ 2020年05月11日
◆氏子の村々
小倉山山麓に鎮座する小倉神社は、現在円明寺・山寺・下植野(以上大山崎町)、調子・久貝・古市・神足・友岡・下海印寺・金ヶ原(以上長岡京市)の旧村を氏子としています。明治の初め頃までは奥海印寺の走田神社にも渡御し、弓講の高橋氏が「百味の御供」を献じたという記録があります(「京都御役所向大概覚書」『京都古習誌』)。また弓講は、現在も小倉神社の小祠を持ち回りしており、その名残りを窺うことができます。
各地区にはそれぞれ「御座(オザ)」とよぶ祭祀組織があり、一年をとおして交代で小倉神社の神事を勤めています。たとえば、1月は友岡座の「お弓」、2月は古市座のほかの御供と円明寺の「お弓」、3月は久貝座の御供といった次第です。
小倉神社への奉仕や、各座ごとに行われる当屋宅での座行事はそれぞれに特色があり、数多く伝わっている古文書や記録をみると、氏子村々の篤い信仰と当時のくらしがわかります。
◆神輿渡御
伝統的な神事は、近代化・現代化のなかで合理化・簡略化が進みますが、それでもなお随所に昔の姿をとどめ、新しいコミュニティの価値が付加されながら守られていきます。
かつては5月3日が神幸祭、5日が還幸祭で、氏子の村々に「鳳凰」・「雁股(かりまた)」の二基の神輿が巡幸していました。明治には一時神輿渡御もなくなりましたが、昭和59年(1984)に氏子青年会が結成されて、現在のような神輿渡御(毎年5月5日の1回)が再開されました。平成22年(2010)5月5日に撮影した記録映像を編集し、YouTubeに投稿しましたので、興味のある方はぜひご覧ください。
冒頭に掲げた写真は、割拝殿に掲げられている祭礼絵馬(享保2年:1717奉納)です。本殿・拝殿に向かって「鳳凰」・「雁股」の神輿が還御していく場面で、桟敷には猿楽に興じる人々の姿も描かれています。絵馬と現代の映像と見比べると、由緒ある祭礼に寄せる氏子の変わらぬ篤い思いを知り、老若男女の楽し気な様子を感じることができます。
ー参考文献ー
・『大山崎町史』本文編 1983年
・『長岡京市史』民俗編 1992年
2010.01.10友岡座の御弓
2010.01.10友岡座の御弓
割拝殿の相撲絵馬