◆三思一言◆◆◆ 勝龍寺城れきし余話⒁ 2021.02.12
◆流浪のなかの学問
細川藤孝は、天文4年(1534)4月、父三淵晴員と母清原宣賢女の間に生まれました。幼くして、同じ足利将軍の奉公衆であった細川高久・春広親子に養育され、天文15年に将軍足利義晴嫡子の義藤(後の義輝)の御部屋衆となり、「藤孝」を名乗ります。
将軍をとりまく政治情勢は不安定で、藤孝は義輝に付き従い、各地を流浪。天文22年(1553)から、当時20歳になった藤孝が滞在したのが、近江朽木谷です。ここには将軍と共に近臣安東蔵人・曽我兵庫助(助乗)や、関白近衛稙家とその兄弟道増・義俊らが同行していて、一流の文化人から大きな薫陶をうけました。藤孝は彼らの指導をうけつつ『中江千句』(連歌師宗碩興行で、連衆は三条西実隆・肖柏・宗長・宗牧など)を筆写し(弘治2年8月の奥書)、さらに翌年には『連歌之書』(宗祇・心敬などの連歌作法書)を書写校合して、連歌の基礎を身につけていったのです。
◆里村紹巴・吉田兼見
連歌師里村紹巴と藤孝が同座するようになるのは、弘治2年(1556)のことです。宗養亡き後の連歌を主導するようになった紹巴と、足利義昭を擁して京に上り、やがて織田信長家臣の戦国大名として成長を遂げる藤孝は、お互いに深く結びついて行動し、その縁は晩年まで続きました。紹巴は三条西公条から『源氏物語』を学んで、この学問の流派と深い関係にありましたので、三条西実澄(実枝)から藤孝への古今伝授は、紹巴の存在が大きく作用したとみてよいでしょう。
藤孝の生涯を通じての無二の親友が、吉田兼見(母方の従弟)です。吉田家は学者・神主として、代々天皇に『日本書紀』を講じたほどの家柄です。後陽成天皇やその母勧修寺晴子の信頼を得ていた兼見が、幽斎と八条の宮智仁親王の出会いに一役あったのは、容易に察せられるところです。
◆八条宮智仁親王
智仁親王は後陽成天皇の弟君。幽斎の古今伝授を朝廷に伝え、伊勢物語・古今和歌集・源氏物語などを含めた幽斎歌学の系譜を象徴するともいうべき人物。後の桂宮家に継承された古今伝授資料(宮内庁書陵部現蔵)からは、幽斎が智仁親王に寄せた大いなる期待を実感することができます。
◆中院通勝・烏丸光広
幽斎の右腕として、いつもそばで活動を支えたのが中院通勝。17歳の若き日、勝龍寺城において藤孝が紹巴から『源氏物語』の講釈を受けた時、彼はその側で聴聞していました。それから25年余り、『源氏物語』の注釈書『岷江入楚』を完成させたのは、慶長3年のことです。
通勝と共に、関ヶ原合戦時の田辺城籠城から幽斎を救出した一人が烏丸光広です。彼は慶長3年から吉田の庵に幽斎を訪ね、和歌の問答を交わしました。それを記録したのが『耳底記』で、20歳の若輩者がぶつける問いと、それに対する幽斎の生の声が筆録されています。幽斎の知られざる人柄や人脈をうかがうことができ、とても興味深いものがあります。
◆前田玄以・佐方宗佐
前田玄以は豊臣政権において京都所司代を務め、朝廷との交渉に当った人物。公家らとの連歌会をとおして紹巴や幽斎と交わり、智仁親王への古今伝授や田辺城からの幽斎救出では、徳川家康のもとでキーマンとして動きました。
佐方宗佐(吉右衛門・元毛利家奉公)も、智仁親王への古今伝授や田辺城からの幽斎救出に関わった人物。烏丸光広と共に、吉田の庵で幽斎から直接和歌を学びます。彼の『細川幽斎聞書』は後に出版され、多くの人に読まれました。
◆松永貞徳
幽斎の事績を広めたといえば、松永貞徳をあげなければなりません。彼は紹巴や幽斎に直接学んで「俳諧」の一大門流を築き、多くの逸材を輩出します。師と仰ぐ紹巴・幽斎・九条稙通・中院通勝などの教えや逸話をわかりやすくまとめた『戴恩記』は、後に出版されて大人気となりました。
◆人脈図作成の意図
幽斎や弟子たちは戦国の動乱を潜り抜け、それまでの写本や注釈書を集めて保存し、新たな注釈を加えて近世へと伝えました。これら体系的にまとめられた古典が、平和のなかで天皇・公家、将軍・大名、さらに庶民層まで、あまねく普及していくのです。まさに幽斎は「文化の天下人」といってよいでしょう。
明日の命さえわからない厳しい時代に、幽斎が同志や弟子たちと心を寄せ合い、心血を注いだものと思うだけでも、値打ちがあるような気がします。あれこれと読みかじっては、ぼんやりと探ってみるという繰り返しで、厖大で奥深い世界になかなか辿りつけそうにありません。近年では様々な翻刻本や図録が出版されており、網羅的な研究や解説にふれることができるようになりました。「ぼちぼち」の勉学の道しるべにと、作ってみたのがこの人脈図です。参考に、細川幽斎と智仁親王の「古今伝授年表」を添付しておきます。
ー参考文献ー
・土田将雄『続細川幽斎の研究』笠間叢書270 1994年
・『細川幽斎 戦塵のなかの学芸』 笠間書院 2010年
【追加】・百瀬ちどり「古今伝授座敷模様」を読む 『乙訓文化遺産』25号 2021年9月