◆三思一言◆◆◆ 勝龍寺城れきし余話⑵ 2020.04.25
◆勝龍寺城を守ろう
カメラをぶら下げ、勝龍寺城跡の濠に沿ってさっそうと先頭を歩く中山修一。後方に乙訓の文化遺産を守る会事務局長小林清(腕組をしている人物)らが続きます。
昭和48年(1973)12月、乙訓の文化遺産を守る会(代表寿岳文章)は、「勝竜寺城を史跡公園にする要望書」を文化庁・京都府・長岡京市に提出しました。このころ会では遺跡を緑地公園として保存しながら町づくりを進めることを訴え、長岡宮跡・森本弥生遺跡・元稲荷古墳・樫原廃寺などで一定の成果をあげつつ、精力的に活動していました。勝龍寺城本丸跡も私有地で開発の動きがあり、破壊が進行する懸念がさし迫っていたのです。メンバーらは城跡のパンフレットを作成し、街頭や各戸配布にも取り組みました。
城跡を公園にという機運が具体的になったのは、昭和60年頃からです。勝竜寺地区では恵解山古墳の鉄器埋納施設発見(1980)を背景に文化財保存への関心が深まり、市民の潤いとふるさと創生を願って千余名の請願を市議会に提出しました。かつて小畑川の水害に悩まされていた東部地区を活性化し、文化施設の空白に対する施策を求めて、地元住民から幅広い協力が得られるようになったのです。そして長岡京市新総合計画のもと、勝竜寺城と国史跡恵解山古墳の整備が歴史ゾーンとして位置づけられ、公園化が実現したのでした。
◆伝承の勝龍寺城
明治初めに編纂された「乙訓郡村誌」(京都府立京都学・歴彩館蔵)の「勝龍寺城墟」には、「暦応2年(1339)己卯細川頼春之ヲ創ムト。或ハ云文明中畠山義就此ニ居ルト、或ハ云天正中山崎ノ戦明智光秀ノ属将三宅綱朝之ニ拠ル、光秀敗ルヽニ及テ火ヲ放テ之ニ死スト、今ハ竹林トナル」とあります。一方、江戸時代中期に編纂された「綿考輯録」(細川家記)では、細川元有(和泉上守護、藤孝の祖父)築城説を記しています。
公園整備が始まったころ、勝龍寺城はこのような伝承のなかで人々の関心を惹きつけていました。ここ30年余りを経るなかで、藤孝築城期の姿が考古学によって明らかとなり、文献史料からの考察と合わせて勝龍寺城の学術研究は格段と深まっています。藤孝の出自についても、細川頼春→頼有・・・元有→元常の家筋に養子となって細川と名乗ったとする「綿考輯録」の前提すら、根本から見直されるようになりました。
◆小畑川の流路変更ーホウサイ川ー
勝龍寺城をめぐる伝承は、今となっては余り顧みられることは少なくなっています。しかしこのような伝承がなぜ生まれ、認識されてきたのかを考えることは大切で、事あるごとにグルグルと思い廻らしています。
そのような一例として、中山修一の勝龍寺城研究から小畑川流路の問題を考えてみましょう。
「長岡京発掘の父」として知られる中山ですが、勝竜寺(久貝)生まれのこともあって、勝龍寺城や山崎合戦には格別の愛着をもっていました。中山は細川家の「西岡御領知之図」(江戸時代中期)に、小畑川が「ホウサイ川」と記されていることに着目しました。ホウサイとは「豊財」、すなわち細川頼春の弟師氏のことであり、頼春築城のさいに小畑川を現在の流路に付け替えた傍証とするのがその主張です。細川頼春・師氏兄弟は足利尊氏のもとで軍功をあげ、室町幕府の要職にありました。
歴史的な支持が得られない頼春築城説ですが、しかしこれを一蹴することもできません。小畑川の南西方向の流れを南北に付け替えた時期について、地理学や考古学の立場から鎌倉時代~室町時代の初めと考えてよいことがわかっているからです。実は桂川(上野-上桂間)の不自然な蛇行も、鎌倉時代に用水整備のため人工的に変えたものとされています。勝龍寺城濠の湧水と、西を流れる小畑川は古市・神足・勝竜寺の田んぼに不可欠な用水源ですので、もしかしたら西岡地域全体の大きな再開発のうねりを物語っているのかもしれません。
中山先生の御専門は歴史地理なので、何事も地図に示してわかりやすく、そして熱っぽく語っておられました。このシリーズはそれにあやかって一目瞭然の図をつくり、これまで撮影した〝とっておき〟の写真をたくさん紹介します。興味のある方は、ぜひお楽しみください(クリックすると拡大できます)。
ー参考文献ー
・「勝竜寺城を史跡公園にする要望書」『乙訓文化』30号 1974年
・中山修一「築城と小畑川」『勝龍寺城は語る』長岡京市教育委員会 1991年
・北井才一郎「公園に寄せる期待」『勝龍寺城は語る』長岡京市教育委員会 1991年
・日下雅義「小畑川の付け替え」『長岡京市史』本文編一 1996年
・高橋昌明「南北朝内乱と西岡」『長岡京市史』本文編一 1996年
・仁木宏「中世西岡の終焉と細川藤孝」『長岡京市史』本文編一 1996年
昭和13年測量・昭和(1981)発行
大日本帝国陸地測量部 1万分の1 こうたり
昭和13年測量・昭和26年(1951)修正
地理調査所 1万分の1 こうたり
昭和34年(1959)撮影 (長岡京市教育委員会提供)
長岡町全域空中写真 1万分の1
中山修一記念館
小畑川 犬川との合流点
小畑川 風呂川との合流点