◆三思一言◆◆◆ つれづれに長岡天満宮⑹ 2018年06月09日
◆古今伝授の舞台
八条宮智仁親王と細川幽斎の深い縁は、長岡天満宮と勝龍寺城の位置関係からもみることができます。「なぜ、勝龍寺城なのか」と疑問に思われる方にご紹介したいのが、慶長7年(1602)に智仁親王が書き写した「古今伝授座敷模様」1通です(宮内庁書陵部)。天正2年(1574)6月、勝龍寺城「殿主」(てんしゅ)において細川幽斎(藤孝)が三条西実枝から古今伝授をうけたさいの座敷の様子が細かく記され、奥書と智仁親王の花押があります。
智仁親王が幽斎から教えをうけるようになったのは慶長元年(1596)3月の『伊勢物語』講義が初見で、その4年後に古今伝授が始められます。しかしこの伝授は関ヶ原の合戦により中断され、死を覚悟した幽斎は伝授終了の証明状を、田辺城から智仁親王に送りました。
慶長6年、京都に帰還した幽斎に対し、智仁親王はさっそく試筆歌の添削を依頼し、古今伝授資料の書写や聞き書きのまとめに励んで、師弟の交流をさらに深めていきます。勝龍寺城における「古今伝授座敷模様」は、このようななかで写されたのです。戦塵のなかで、正式な儀礼もなく慌ただしく古今伝授の証明状のみをうけとった智仁親王にとって、これを書写する行為はとても大きな意味があったことでしょう。このころから八条宮屋敷ではさかんに和歌会を催し、幽斎らを招くため書院の新築や泉水を整備したのも、慶長7年のことでした。。
この八条宮屋敷は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から与えられたものですが、慶長10年に徳川家康が内裏を拡張するさい、現在地(京都御所今出川御門南)に移転します。このような交流は、幽斎が亡くなる慶長15年まで続けられます。さて、幽斎から智仁親王への古今伝授の舞台となった建物は、どうなったのでしょうか。
◆「古今伝授の間」研究の進展
熊本水前寺成趣園に建つ「古今伝授の間」は、幽斎が智仁親王に古今伝授を行った建物で、明治4年(1871)に桂宮家から細川家に下賜され、もとは「長岡御茶屋」にあったと伝えられてきました。 この伝承を、建築史の立場から考察したのが西和夫です。当時は、江戸時代の来歴が明らかにされておらず、古今伝授の間が「もと桂離宮にあった」という説もだされるという研究段階でした。
西和夫が分析の史料としたのは①『改訂 古今伝授の間の由来』(1935細川家作成、熊本県立図書館)、➁「御元祖宮従細川玄旨古今集御伝受之御殿之図」と覚書をまとめた冊子(明治期の長岡天満宮古記録写し、長岡天満宮所蔵)、③「桂宮日記」ほか八条宮家の記録類(宮内庁書陵部)で、史料を丹念読み解く読解力と精緻な考察には驚くばかりです。その内容はこれから追々にご紹介することにして、西先生が導きだした結論は、熊本水前寺成趣園に移築されている古今伝授の間は、もと八条宮屋敷にあった慶長期の学問所で、長岡天満宮に移されたものが、さらに現在地に移築されたものだということでした。
西先生の考察を検証する絶好の機会が訪れたのが、2012年から2年余りにわたって行われた「古今伝授の間」の解体修理です。この過程で部材の調査と西先生の論考の再評価が取り組まれました。修理を担当された京都伝統建築協会の塚原十三雄さんによると、平面構成と部材の一部は慶長期に遡り、今出川御門南の八条宮屋敷にあったものにまちがいなく、それは移転前の当初の書院が移築されたのだと評価されています。つまり、幽斎から智仁親王への古今伝授が行われた座敷であることが、修理調査から証明されたのです。
さらに部材には墨書があり、長岡天満宮の記録とつきあわせても整合するので、これはもと「長岡」にあったことも確実となりました。慶長から明治維新、そして明治・大正へ。「古今伝授の間」は、時代の波のなかで京都→長岡→熊本へと移築・再生をくりかえつつ、細川幽斎と八条宮智仁親王の深い絆を脈々と伝えています。これから折にふれ、このドラマチックな「えにし」を紹介していきますので、関心のあるかたはひきつづきご覧ください。
-主要参考文献-
・西和夫「古今伝授の間と八条宮開田御茶屋」『建築史学』第1号 1983年
・京都伝統建築技術協会『古今伝授の間修理工事報告書』 公益財団法人永青文庫 2011年
・宮内庁書陵部『智仁親王詠草類』1~3 解題 1998~2001年
・杉本まゆこ「御所伝授考-書陵部蔵古今伝授関係資料をめぐって-」 『書陵部研究紀要』第58号 2007年
・富坂賢「古今伝授と細川幽斎-歌道にみる戦国のネットワーク-」東京国立博物館・京都国立博物館・九州国立博物館ほか『細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション』 2010-2012年
・『細川幽斎と舞鶴』 舞鶴市 2013年
水前寺成趣園 古今伝授の間 2011年撮影
床の間のある客間(冒頭の写真)に、花頭窓の付書院を付した居座の間が続く。筬欄間と両脇の柱は、細川幽斎と智仁親王の古今伝授が行われた慶長の部材。
客間の床框に「享和元年」の墨書がある。
水前寺成趣園 古今伝授の間 2011年撮影
花頭窓の付書院を付した居座の間から庭園を眺める。付書院の形や寸法は、長岡天満宮伝来の記録と一致する。