三思一言◆ つれづれに長岡天満宮⑵

戦国時代の「ご当地縁起」絵巻

                         2017年9月11日


◆「太政威徳天縁起」巻第6の発見

 平成13年(2001)、東京国立博物館・福岡市博物館・大阪市立美術館で、特別展「天神さまの美術」が開催されました。この展覧会は、翌2002年の菅原道真没後1100年にちなんで、天神ゆかりのさまざまな美術を紹介するもので、そのなかに、フランス国立ギメ東洋美術館に所蔵される「太政威徳天神絵巻」(北野天神縁起絵巻)全6巻のうち巻第1・巻第2・巻第6がありました。

 巻第1~巻第5は『秘蔵日本美術大観』(講談社、1994)によって知られていましたが、刊行後に巻第6の存在が同館で確認され、奥書から山城国乙訓郡開田庄において制作されたものであることがわかり、注目を集めました。かくして「天神さまの美術」で初のお里帰り展示となり、そして2005~2006年度にかけて全巻が東京文化財研究所で修復されたのです。

 このころ長岡天満宮でも御神忌1100年事業が盛大に挙行され、その過程で古文書や美術品が相次いで発見されていました。長岡京市教育委員会ではこれをうけて学術調査に取り組み、その報告書のなかで「太政威徳天縁起」を改めて紹介することができたのです。特別展を担当された鈴木幸人先生、乙訓地域の戦国史にくわしい仁木宏先生、そして修理を担当された綿田稔先生による最新の研究に学びながら紹介しましょう。

 

 ◆開田庄の「天満宮」

 巻第6の奥書には、天文7年(1538)に中小路山城守宗綱が「城州乙訓郡開田庄薬水場寺」の「例宝」として、この天神縁起をつくったと記されています。中小路宗綱はこの地の土豪で開田城を築き、仁和寺領開田庄の荘官をつとめ、戦国時代に村の代表として広く活躍します。

 「天満宮」は、農耕の神仏として村の重要な水源の場所につくられていました。注目すべきは絵巻全6巻には「古本」があり、それが破損したので今回新たにつくったという記載です。開田庄の「天満宮」は、鎌倉時代終わりごろの古文書からその存在が確認できますので、この奥書からも村の鎮守として古くから「天満宮」があったことが確実になりました。

 同じころの同じような例として、山城国綴喜郡多賀郷の高神社(京都府井手町)をあげておきましょう。大永3年(1523)、郷民らは社殿の完成を祝って宝堅(ほうかため)の神事を行っています。さらに高神社にはこれより古い文永8年(1271)の天満宮造営を記した「流記(るき)」があり、有力な侍衆や女房、そして地下の百姓らが共同で神社を造営した経過がくわしく記されています(京都府立山城郷土資料館寄託)。鎌倉時代から戦国時代における開田天満宮の造営を彷彿とさせる貴重な資料です。

 

◆寂照院杲雄と能勢頼直

 ギメ本「太政威徳天縁起」には、巻第6の奥書に続いてその裏にも絵巻制作に関わる重要な内容が記されていました。あれやこれやと興味は尽きませんが、ここでは①氏子の「少之志」が勧められたこと、②詞書を右筆の海印寺寂照院杲雄(52歳)と、俗弟子能勢頼直(23歳)が書いたことをあげておきます。

 寂照院は平安時代創建の古刹で、このころは開田村の西隣、奥海印寺村の土豪高橋氏が造営にかかわっていました。杲雄はこの高橋氏の出身です。また能勢頼直も開田村の北隣、今里村に城を築いていた土豪の一族でした。仁木先生は、開田天満宮を核として中小路氏と氏子たちがまとまり、近隣の土豪たちが連携する戦国期の乙訓・西岡地域の社会構成を如実に反映したものと述べておられます。

 

◆「ご当地縁起」の流行

 戦国期の村落を描く有名な絵巻として「桑実寺縁起」があります。天文元年(1532)奉納のこの絵巻の発願は足利義晴、言葉書は後奈良天皇・青蓮院宮尊鎮・三条西実隆、絵は土佐光茂です。戦国時代にはこのような寺社仏閣の霊元や祖師を主題とした絵巻が数制作され、さらに在地においてもさかんにつくられました。14世紀から16世紀制作の天神縁起も多く伝わっており、これら諸本の系譜や関係をみるうえで、また絵巻制作の過程がよくわかる基準資料として、ギメ本「太政威徳天縁起」はとても重要な作品なのです。

 鈴木先生は、室町時代の天神縁起絵の特色ともいえるべき多様な要素が混沌とし、活力溢れる様相がよく表われていると評されています。また綿田先生は、この縁起の絵(「御賜御衣」)と開田天満宮の伝承(「長岡天神社・中小路由来書」)を結び付けて読み解き、ずばり「ご当地縁起」と表現をされました。さらに色数が豊かで書き込みも細やかであること、そして素朴・稚拙・おおらかな一面もみられ、「古本」の規範力や在地の人々の好みにも言及しておられます。共同研究をもとに全巻の絵と詞書が掲載されていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

 

-主要参考文献-

・鈴木幸人・仁木宏「中世の開田天満宮と中小路氏」『長岡天満宮資料調査報告書 美術・中世編』長岡京市教育委員会 2012

・綿田稔ほか「国立ギメ東洋美術館蔵 太政威徳天縁起絵巻」『美術研究』第410号~412号 2013~2014

 

寂照院

 阪急バス停「明神前」をおり、西をみるとこんもりとした小高い森がみえます。ここが木上山海印寺寂照院です。近くに「城」という地名があり、高橋氏の居城と考えられています。仁王門のそばに、大きな文化財説明板があります。

 

今里城跡遠景

 開田のすぐ北に接する今里の田園です。このあたりに戦国時代の仁和寺領「開田庄」がありました。旧集落の西南から能勢氏が築いた今里城の堀がみつかっています。今里郵便局の側に文化財説明板があります。