◆三思一言◆◆◆2020
福田美術館本「洛外図屏風」
左隻第5~6扇
周遊ガイド
⑴第5~6扇 西山の古刹一望 2020.06.27
京都盆地の西、老ノ坂から天王山までが西山です。どこから見ても味わい深いのですが、大原野神社や勝持寺あたりから善峯寺・金蔵寺(小塩山)の稜線を仰ぐと、屏風のようにそそり立つ迫力ある山容が迫ります。
もう一つお勧めのポイントが、長岡京市粟生からの眺めです。手前に光明寺の丘陵、奥に善峯寺・金蔵寺の稜線が重なり、里山の風景に浮かぶ、四季折々の山容を満喫することができます。
西山遠望 京都タワーから
大原野から善峯寺
粟生から光明寺・善峯寺
⑵第5扇 春日大明神、西行寺 2020.06.27
春日大明神(大原野神社)は、長岡京遷都のさい奈良春日大社を勧請した誇り高き神様。大原野村を過ぎた辺りに、慶安2年(1649)建立の一の鳥居が描かれています。
西行寺(勝持寺)は、言わずと知れた花の寺。本堂の側に2本のさくらが描かれ、まさに花を添えています。
石段上に移設された一の鳥居
大原野神社
花の寺・勝持寺
⑶第6扇 善峯寺、三鈷寺、十輪寺 2020.07.17
善峯寺は平安時代中期、比叡山横川の恵心僧都の弟子源算により開かれました。三鈷寺はその源算が隠居所としたところで、「北尾往生院」と称したのが始まり。いづれも天台宗と深い縁の西山浄土宗の名刹。善峯寺は、元禄年間に桂昌院によって再興される前の様子が描かれ、「順礼札所」の貼札が、西国三十三所観音霊場としての古くからの歴史を示しています。
小塩村の十輪寺(業平寺)は、江戸時代中期に再建される前の様子。
善峯寺札所と多宝塔
三鈷寺から比叡山を遠望
十輪寺の業平桜
⑷第6扇 光明寺 2020.07.24
これが光明寺?。今の光明寺のシンボルである本堂・阿弥陀堂、総門、長い石段は享保の大火後、江戸時代後期にかけて整備されたものです。ここに描かれるのは、それより一昔前、倍山による復興途上にあった17世紀中ごろの様子。中井本とも微妙に違い、「洛外図屏風」の成立時期を探る大事な場面です。なかでも福田美術館本にだけ描かれる三重塔が、謎めいています(場所は石段の中ほど、楼門予定地の礎石が残るあたり)。
総門
石段
楼門礎石
⑸第6扇 向日明神、南真経寺・北真経寺 2020.07.24
向日明神は、南面していたころの古い様子が描かれています。西国街道をはさんだ檜皮葺きの立派な建物は今の南真経寺、「かいて村」のはずれにある草葺きのお堂は南真経寺です。檀林の開設に伴い、承応3年(1654)に南と北に分かれた直後のようすで、中井本には「法華檀所」の貼紙があります。「洛外図屏風」の制作時期を表す年代指標の一つとして、注目しておきましょう。
YouTubeさくらの向日神社 YouTube鶏冠井皆法華 南真経寺・北真経寺
向日神社
南真経寺
北真経寺
周遊の続きをお楽しみに