三思一言◆ 2021年08月14

楊谷寺の書院と浄土苑

 ◆二つの書院

 格式ある玄関から使者の間を通り、西に入ると書院です。書院は庫裡とつながっていますが、もとは別棟であったものを、安永5年(1776)の庫裡大改造のさいに一体としたものです。四つの座敷からなり、西側に仏壇と床の間があり、現在は写経・写仏や法要を行う場として使われています。

 そして、書院から廊下を登ったったところにあるのが上書院。明治33年(1900)の「山城宝鑑(銅板図)」に「別座敷」として描かれているので、このころに建てられたと見られています。1階と2階は箱階段で行き来でき、それぞれの部屋の東側には床と飾り棚が設えらえ、欄間など随所に洒落た意匠があしらわれた数寄屋造です。現在は西外側から裏の琴手水の所へ回るようになっていますが、もとは東外側から奥の院への渡り廊下とつながっていました。

 1階が映画「日本のいちばん長い日」(2015年版・役所広司主演)のロケで使われたことから、多くの人々に知られるようになり、書院と上書院に囲まれた浄土苑は花手水の魅力と相まって、一躍人気沸騰のスポットとなっています。

 ◆庭園の変遷と「浄土苑」

 楊谷寺に伝わる江戸時代後期の指図から、庫裡・書院の改造と共に整備された元の庭園のようすがわかります。西から引き込まれた山水が、いったん玄関のところで溜められて池となり、さらに本堂裏から阿弥陀堂へ廻らされていました。そして明治30年ごろ、上書院や回廊が建てられ時に瀧がつくられて、そこから山水が流れ落ちるように改修されたのです。上書院の東には土砂を落とすための沈殿池もあります。斜面の石垣はさらに昭和59年(1984)に再整備されて「浄土苑」と名付けられました。

 この庭園の魅力を知るため、長岡京市史編さんの時に飛田範夫先生が実測された図を掲載させていただきました。現在、池の水はポンプで汲み上げられていますが、瀧組はそのまま残っています。植栽はマツ・ツバキ・モッコク・アラカシ・ヤマモモがあり、特に初夏のサツキや秋の紅葉の季節は、柳谷観音ならではの目を見張る美しさです。

 

 ー参考文献ー

・重森三玲『京都百庭(略史篇) 京阪電気株式会社 1920年

・『長岡京市史』建築美術編 1994年