三思一言◆ つれづれに長岡天満宮(28) 2019.12.26                

平成14年の御神忌千百年

◆長岡天満宮の萬燈祭

  萬灯祭はその名のとおり、神前に数多くの灯明をともすもので。朝夕500灯ずつ、10日間でのべ1万灯をともし、祭神の霊を慰める祭儀です。

 長岡天満宮での萬灯会は、菅原道真の御神忌八百年の元禄15年(1702)に始まりました。霊元上皇の皇子たちが八条宮(常磐井宮)家に入ったことを契機として、上皇主導で盛大な祭が催され、社殿修造や宮家運営の改革が図られたのです。以後、京極宮→桂宮家によって宝暦2年(1752)、享和2年(1802)嘉永5年(1852)と祭儀が重ねられていきました。

 そして明治維新により宮家の庇護を離れた後も、氏子・崇敬者によって明治35年(1902)、昭和27年(1952)とその伝統的な祭儀催行が守られ、平成14年(2002)の御神忌千百年大萬燈祭を迎えたのです。

◆菅公御神忌千百年大萬燈祭

 萬灯祭の祭儀のたびに、時代に合わせて社殿は一新され、社頭の清新さはいよいよ増し、祭儀の充実が図られてきました。平成14年3月23日~4月1日までの10日間にわたって催行された大萬灯祭については、実行委員会の設置、祭儀の詳細、決算、継続事業等の全貌が、『菅公千百年大萬灯祭記念誌』としてまとめられ、将来への貴重な記録となっています。

 朱塗りの拝殿、八条ヶ池の大きな石鳥居、紅梅殿・白梅殿、錦景苑など、今日多くの人々に親しまれている長岡天満宮のシンボルは、伝統を受け継ぎつつ、この時に再生・創出が図られたのです。また、享和2年の『雑記』をもとに古義復活が取り組まれ、そのうちの一つ「放生会」は、現在、乙訓社寺会によって継承されています。YouTube乙訓社寺会放生会

 

-参考文献-

・『菅公千百年大萬燈祭記念誌』 長岡天満宮 2005年


平成14年の大萬灯祭 長岡天満宮発行『菅公千百年大萬灯祭記念誌』2005年発行より

大改修前のようす

 拝殿を朱塗りに、本殿を除いた内拝殿等の檜皮葺きを、銅板葺きに替える工事が完成したのは、平成10年10月。石碑の庭・錦景苑も、平成11年から始められた大きな整備事業です。

 



大改修前の拝殿と絵馬堂 写真提供:長岡京市教育委員会