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長岡京&乙訓+α旅のれきし回遊を、ご一緒に楽しみましょう。

「楓宸百景」は、項目をたて写真や動画を紹介。

「三思一言」は、特別テーマのれきしコラム



楓宸百景 ふうしんひゃっけい

日々撮り続けている写真のギャラリー。長岡京への愛着を「楓宸」の言葉に込めました。YouTubeの動画とともにお楽しみください。 👉YouTube番組一覧

 

乙訓の竹
長岡京跡
久我縄手



-宇田淵の漢詩-

菅廟梅花歳歳新 菅廟の梅花歳歳新たなり

當時此處是楓宸 当時此の処是楓宸

遊人莫作黍離嘆 遊人作す莫かれ黍離の嘆

一鼎依然萬古春 一鼎依然万古の春


   新稲法子さんが紹介した宇田淵(うだえん)の漢詩です(「宇田淵と漢詩」和漢比較文学第57号、2016)。

 宇田淵は神足町(長岡京市)の出身。幕末から明治にかけて岩倉具視の側近として活躍し、明治2年から桂宮家令として桂別業(桂離宮)や開田御茶屋(長岡天満宮)の保全に尽力しました。栗園(りつえん)の号で漢詩人としても名高い人物です。

 この詩では、菅廟(長岡天満宮)の梅花の前でここは楓宸(朝廷・都)」と、長岡京を想い起こしています。当時大池(八条ケ池)の堤は、見事な楓の並木でした。都の跡はすっかり変わりはてたけれども嘆くなという淵の言葉に共感し、ホームページのお題にいただきました。下記の特設ページも、ぜひご訪問ください。

宇田淵の事績

  宇田淵(1827-1901)は、岩倉具視の腹心の部下であり、桂宮家令・宮内省官吏として多岐にわたる職務を務め、京都御所・桂離宮・修学院離宮など、皇室財産の保存に直接関与しました。勤皇の志士として明治維新を生き抜いた生涯と、漢詩人・歌人としての素顔を追いましょう。

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